お盆休みが終わりました。毎年のことですが、家族サービスに追われると、あっという間に時間が過ぎてしまいます。今年もほぼ家族優先で終わりました。
私にとって、帰省の最大の目的は、普段なかなか会えない義母に孫の顔を見せることです。義母はもう70歳を超えています。体はまだ丈夫ですが、会うたびに少しずつ老いを感じずにはいられません。だからこそ、限られた時間を大切にしたいと思うのです。
今年は特にその思いを強くしました。私は三兄弟の長男で、母が帰省する兄弟家族のためにBBQの準備をしていました。その計画を聞き、母が兄弟の帰省を待ち遠しくしている思いを感じ、私もその準備を手伝いました。
しかし、弟たちは帰省するや否や、花火を見に行きたい、級友に会いたい、と自分たちの楽しみを優先。母の気持ちや祖母と孫の貴重な時間にはあまり関心がないようでした。ある程度予測はしていましたが、それでも残念でならなかったのです。
もちろん、弟たちにも事情や予定はあるのでしょう。貴重な長期休暇をどう楽しむか、日々の忙しさから解放され、一日も休みを無駄にしたくない気持ちは理解できます。しかし、目の前の親が老いていること、孫(我が子)の成長を見せることまで気を配る余裕が無かったのでしょう。
人は誰しも自分が主人公であり、視点は自分中心に偏りがちです。忙しいという状態は、まさに「心を亡くす」ことなのだと痛感しました。
弟たちは結婚して家庭を持ち、子供が大きくなるにつれ教育費もかかります。家や車の費用もあり、仕事で重責を担うこともあるでしょう。そうした事情の中で、短期的な楽しみに集中してしまうのも無理はありません。
一方、私は転職して収入は減ったものの、生活に困ることはありません。借金もなく、少しの貯金もあります。だからこそ、親や祖母のことを考え、子供の成長を見守る余裕があります。世の中の現役世代がすべてそうではないことも理解しています。
この件を通して、妻は私の帰省の意味を理解してくれるようになりました。同時に、弟たちへの憤りも正直大きかったです。しかし、結局私にできることは、自分の行動で示すこと。祖母や母、孫との時間を大切にする姿を見せることです。
「親孝行したい時には親は無し」とはよく言ったもので、日々の慌ただしさに追われると、大事なものを見失ってしまいます。今回の帰省で、改めてそのことを実感しました。
皆さんにとって、帰省の意味は何でしょうか。限られた時間をどう使い、誰と過ごすかを意識することが、実はとても大切なのかもしれません。